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会報『CanDoアフリカ』
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「ナイロビ便り
および3月発行(総会資料号)の「(各年の)ケニアの概況」
第1号〜第51号  

*第52号以降は、会報バックナンバーのPDFでご覧ください。





















2010年
7月[第51号] 8月4日、新憲法制定の賛否を問う国民投票実施 /
3月[第50号] 2009年のケニアの概況 騒動で露呈した課題の取り組み、そして行政機構の細分化
2009年
12月[第49号] 干ばつ、その後 / 9月[第48号] センサスがやってきた / 
6月[第47号] 続いているムンギキ問題 /
3月[第46号] 2008年のケニアの概況
 4月に連立政権が誕生、10月には選挙後の暴力に関して報告
2008年

12月[第45号] さようなら、バリー・アーケードのキオスク / 9月[第44号] 全国300以上の高校で暴動 /
6月[第43号] 騒動後の調停と結果/
3月[第42号] 2007年のケニアの概況
 年末の総選挙から暴動が発生
2007年
12月[第41号] ケニアの2007年総選挙 / 9月[第40号] 市内のムンギキと台所のねずみ騒動 /
6月[第39号] ナイロビのニュースから考えるソマリアのこと /
3月[第38号] 2006年のケニアの概況
 好景気の中、貧富の格差が拡大しています
2006年
12月[第37号] ケニア人スタッフから「ぼくは農民」との言葉 / 9月[第36号] 4年ぶりのケニア /
5月[第35号] 担当して4回目の会計監査 /
3月[第34号] 2005年のケニアの概況 憲法改正案が国民投票で否決され内閣を解散

2005年
12月[第33号] 憲法改正案の国民投票の結果 / 9月[第32号] ムクンガ氏を悼む /
5月[第31号] 昨年の小雨季、橋が流れて残った疑念 /
3月[第30号] 2004年のケニアの概況 キバキ政権の誕生から2年、課題解決のめどがつかず国民に不満
2004年
12月
[第29号] セミナーに求めるものは・・・ / 9月[第28号] ムインギの「ミックスジュース」 /
5月[第27号] マタトゥ(乗合自動車)改革 / 
3月[第26号]
 2003年のケニアの概況 公務員の綱紀粛正から「マタトゥ」の改善まで、さまざまな動き
2003年
12月[第25号] 小学校の無償教育政策 / 9月[第24号]
 引っ越し事情 /
6月[第23号] モンバサでのテロ、その後 /
3月[第22号] 2002年のケニアの概況 総選挙で政権が交代
2002年
12月[第21号] 1か月続いた教育ストライキ / 9月[第20号] ワールドカップの熱狂の陰で /
5月[第19号] 学費に及ぼす、今後の選挙の影響 / 
3月[第18号] 2001年のケニアの概況 2002年の選挙に向けての政治の動きと、経済面での「ドンデ法」の行方
2001年
12月[第17号] ソマリアとの国境封鎖とミラー / 9月[第16号] マタトゥで着メロ! /
3月[第14号] 2000年のケニアの概況 干ばつはさらに深刻化、一方では「エイズは国家的災害」との宣言


2000年
12月[第13号] 被害者が続出した密造酒の問題 / 9月[第12号] ケニアの計画停電 /
3月[第10号] 1999年のケニアの概況 干ばつから都会では電力不足、村落部では農作物の不作の問題

1999年 
9月[第8号]
東アフリカの中のケニア6月[第7号] 経済不況のさなか  ナイロビ市内に噴水が出現!
2月[第6号] 1998年のケニア概況 「エル・ニーニョ」による豪雨、そして米大使館爆破事件の影響は大

1998年
12月[第5号] ケニア政府とNGO / 10月[第4号]  アメリカ大使館爆破事件に思う /
4月[第2号] エルニーニョの影響について思うこと /2月[第1号] NGOの魅力