2004年
[第29号]セミナーに求めるものは・・・

調整員  藤目 春子

皆さんはどんなことを求めて、セミナーやトレーニングに参加しますか? 情報や技能など、何か自分の役に立つもの? 新しい人に出会えること? あるいは、仕事など日常の忙しさから離れ、リフレッシュできること?ケニアでは、「手当」を受け取れることも、セミナーやトレーニングに参加する大きな魅力となっています。今年の8月、全国紙「The Nation」にこんな記事が載りました。

「公務員が、職場の地域以外の場所で開催されるセミナーに参加する場合、今後は『細々した現金支出』に対する手当は支給されない」。つまり、これまでは「手当」として現金が出ていたということです(交通費はまた別の扱いです)。

「ただし、食費への手当として1日あたり1,000シリングは支給される」と続きます。1,000シリングといえば1,400円程度ですが、物価が違う日本だったら約1万円に相当するような金額です。これまでは「細々した現金支出」に対する手当も加わっていたわけです。セミナーの内容への関心の有無にかかわらず、参加したいと皆が望むのも当然です。

こういう「手当」に慣れている行政担当者は、NGOが地域で活動しようとするとき、セミナーやトレーニングが実施されて自分たちが参加することを期待します。

講師として、まとまった額の講師料を稼ぎたいという人もいます。多くは参加者として、手当を受け取りたいということでしょう。その思惑にそわない活動に対しては、「手当をもらえないなら協力しない」という態度に出ることがよくあります。もちろん、全ての役人にいえるというわけではありません。

CanDoは、「地域のために、政府とパートナーとして活動しているのだから、手当は出さない」という方針で活動しています。しかし、活動地のムインギ県に異動で新しい担当者が着任するたびに、何度でも説明しないといけないのが現実です。それに対して、「手当を出さないならこの地域から出ていけ」と言われることすらあります。

「パートナー」として活動することの難しさを感じる毎日です。


(2004年12月発行 会報第29号「ナイロビ便り」より)


[第28号]ムインギの「ミックス・ジュース」

調整員  藤目 春子

「今週もムインギで暇がなくて、フルーツジュースを飲めなかった!」

最近、調整員の口からときどきこんなつぶやきが漏れます。ムインギ県の県庁所在地であるムインギ町は、この2年ほどの間にかなり発展してきています。その変化の1つが、おいしい果汁100%ジュースを冷やして出してくれるお店の出現です。パッション、マンゴ、パイナップル、アボガド、パパイヤの5種類と、好みに合わせたミックス・ジュースがあります。CanDo活動地のヌー村やムイ村には電気はありませんが、ムインギ町には電気が通っていて、おかげで冷蔵庫もあり、暑い中、冷えたおいしいジュースを飲むことができるのです。お店で果物から絞って作っているので、ジュースは新鮮なことこの上なし。調整員に誘われて、おっかなびっくり飲んでみたケニア人コンサルタントたちも、今では大のお気に入り。

このジュース屋さんには、3人の従業員がいます。1人は海岸地方のモンバサ出身。ムインギの人たちが日常使っているカンバ語は話せません(ケニアの国語はスワヒリ語)。1人は海岸とは反対の、ケニア西部のキスム出身のルオー人。そしてもう1人は、ムインギからさらにソマリア国境の方へ150km近く行ったガリッサという町の出身。彼は、半分ソマリ人、半分パキスタン人の血が混ざっているそうです。ムインギからモンバサへ出稼ぎに出る人が多いというのは聞いていましたが、モンバサやキスムといった大都市からこんなムインギへやって来る人たちがいたなんて…。

もう1つ新しくできたお店が、いわゆる「スーパー」。お店に置いてあるものを見ていると、ナイロビをそっくりそのまま持ち込んできたようです。店員は客に品物の説明をするのに大忙し。今までムインギになかったものがたくさんあるからです。

このスーパーはアラブ系の人が所有しているビルに入っています。ムインギはもともとカンバ人の土地ですが、ムインギ町ではソマリ人の人口がかなり増えていて、海岸地方に多いアラブ系の人も多く見られます。アラブ系の人たちの多くは裕福で、このスーパーの所有者もアラブ系。ムインギの発展の原動力は、残念ながらカンバ人ではなく、アラブ系のようです。

(2004年9月発行 会報第28号「ナイロビ便り」より)



[第27号]マタトゥ(乗合自動車)改革

調整員   藤目 春子

ケニアで活動する中で、生命にかかわる最も大きな危険は交通事故だろう、と半ば確信しています。ナイロビの街中で、地方への移動中に、しばしば交通事故の現場に遭遇します。犠牲者を目の当たりにすることも珍しくありません。

中でも、定員15人のワゴン車に20人以上詰め込んで時速120km以上で走行する乗合自動車「マタトゥ」は、スピードが出しやすい郊外の幹線道路では特に危険な存在です。大型バスに乗っているときに、後方から近づいてきたマタトゥがコントロールを失ってバスの側面に接触し、扉が紙を丸めるように潰れていった光景を鮮明に覚えています。ナイロビの街中の交通渋滞でも、あきれるほどの乱暴運転です。急に反対車線に飛び出したり、歩道に飛び込んだり、また、ひとりでも多く客を確保するために、マタトゥ同士で追い越し競争をくりひろげたりしています。ケニアの国民性を「ポレポレ(ゆっくりゆっくり)」と表現しますが、マタトゥの運転手や車掌には全くあてはまりません。

このワゴン車タイプは、周辺国ウガンダ、タンザニア、エチオピアでも同じように乗合自動車として利用されています。しかし、定員数は守られ、ずっとゆったりと無理をせずに運行されているように見受けられます。どうして、ケニアばかり危険な状態にあるのか、不思議でした。

新政権はこの交通改革に乗り出し、2004年2月に新しい規則を施行しました。運転手と車掌の資格審査が厳しくなり、車両も時速80km以上のスピードがでないように自動速度制御器を設置、全席にシートベルトを装着が義務づけられ、定員以上に乗客を詰め込むことは禁止となりました。

しかし、延期や中止を期待してか、直前までポレポレとほとんど準備をしていない状態でした。そのため、2月に入って政府が厳格に規則を実施し始めると、マタトゥばかりでなくバスもほとんど運行できない状況に陥りました。その後、1か月ほどかけて条件を満たしたマタトゥやバスが順次路上に戻り、これまでに比べると随分安全に運転するようになりました。一方、営業を再開したマタトゥやバスが本来より高額な運賃を請求したため、多くの住民が徒歩で通勤するようになりました。マタトゥが庶民の足から「上流庶民」のものとなって、乗れない膨大な層ができたのではないかと心配です。安全で、みんなが利用できる公共交通機関が確立することを願ってやみません。


(2004年5月発行 会報第27号「ナイロビ便り」より)


「第26号」2003年のケニア概況
       公務員の粛正から「マタトゥ」の改善まで、さまざまな取り組み



2003年は、新政権による諸問題への取り組みがみられました。

第一は、国民の期待の大きさからも小学校の無償教育政策です。その中で特に強調されたのが、校長が保護者からお金を集めることを厳格に禁止したことです。これまで、校長がいろいろな名目で保護者からお金を徴収し、時には不透明な動きもあったことへの対処と思われます。

また、公務員の綱紀粛正が図られています。それまで日常的だった、警察官が通行中の車の法的な不備をみつけては賄賂を受け取る様子もみられなくなりました。交通整理が雨の中でもなされるように変わりました。クリスマスも休まず仕事につき、独立後で最も平和なクリスマスが実現した、といわれています。

前政権時代からケニアの汚職度合いを毎年調査しているNGOによると、国民ひとりが警察官から賄賂を求められる件数は、2002年の年平均54件から2003年は13件へ減少。大幅に改善はされてはいても、最も汚職が深刻な行政機関であることは変わらない、との報告がされています 。また、裁判官25人が賄賂を受け取って判決に便宜をはかっていた、として停職処分を受け、そのほとんどが辞職しました。

さまざまな事件の真相究明も地道に続けられています。ひとつは、1990年代初頭に輸出報奨金の名目で国庫から一企業へ多額の資金が不透明な形で流れた事件について。旧政府高官の関与と政界への資金還流が噂されていました。真相究明のための特別委員会が設置され、3月からこれまで(2004年2月末)ほぼ1年の間に150日もの審査会が開催され、毎回の証言記録全文が一般紙に掲載され続けています。

政府は交通問題の解決にも着手。小型のバス、ワゴン車に乗客を詰め込んだ「マタトゥ」と呼ばれる乗り合い自動車は、高速で疾走し、無理な追越しで、事故が絶えませんでした。政府は、自動速度制御器と全ての座席にシートベルト装備を義務付けました。また、乗客は座席数のみとして立ち席や詰め込みを認めず、運転手と車掌は警察発行の無犯罪証明書を取得しないと営業できないことになりました。マタトゥ組合は全国ストライキなどで抵抗してきましたが、2004年2月から厳格に実施されています。


(2004年3月発行 会報第26号「ナイロビ便り」より)