2009年
12月 
[第49号] 干ばつ、その後

代表理事 永岡宏昌

 この2年ほど、ムインギ県(現 ムインギ東県)では、少ない雨量に頼って農業を行なっている時期に、降雨がほとんどなく、今年の8月には、どこの畑にも作物がありませんでした。茶色い地面が一面に露出し、生垣も枯れて、家や学校などの建物が、道路沿いから見通せる状況になっていました。その頃、ヌー郡ウインゲミ区長に聞いたところでは、地域のウシの半数程度は餓死しているとのこと。実際、あちらこちらの道端で、ウシの死骸をみかけました。また、地域の住民は、食糧援助などで食いつないでいる様子でした。エイズの薬(ARV=抗レトロウィルス薬)を服用しているHIV(ヒト免疫不全ウィルス)陽性者の中には、食事が十分に食べられないために、薬の服用ができなくなった人もいる、という話も聞きました。

10月の中旬から、待望の雨が降り始めました。1週間ほどすると、草が生えて木の葉が出始め、車から見る遠景は、一面の新緑となりました。ヤギは元気に飛び跳ねていて、ロバは淡々としているのですが、ウシはすぐには回復しないようで、ヨロヨロ歩いています。普段、降雨があれば、ウシにプラウ(すき)を牽かせて耕すのですが、畑に出せるウシが少ないようで、小さなクワを使った人手での作付けも広範に行なわれていました。穀物の種子は、雨が降り始めた頃に、政府から無償で供与されました。空腹の中での作業は大変だ、という声を聞きましたが、みんな明るい表情にみえます。

一方、今回の雨季は、エルニーニョ現象と重なる、とのことで、住民の多くは、その影響による1998年の大雨を思い出していました。交通や通信のネットワークが絶たれるなどの被害が出ましたが、農作物にとっては恵みの雨とあって、住民の多くは期待していました。しかし今のところ、期待を裏切るような降雨量です。

環境活動で協力している村でも、作物の生育が進み、11月下旬には、ササゲ豆の葉が順調に出てきて、その葉を野菜として食べ始めている、とのことです。そして、住民は、当会が実施する作物につく害虫の有機的防除や、葉物を乾燥させて乾燥野菜をつくる学習会への参加に積極的になってきました。このまま、最低限の降雨でも続いて、穀物が収穫できるようになれば、穀物の乾燥や保存での害虫防除など、住民も興味をもって学習会に参加してくれると期待しています。

9月
[第48号]センサスがやってきた

調整員 景平義文

ケニアのセンサス(全国人口調査)は10年に1度、西暦の下1桁が9の年に実施される。2009年の今年は1999年以来のセンサスの年にあたる。
ひと月ほど前からセンサスの話がちらほら聞かれるようになり、8月24日がセンサス・ナイトとなった。この夜、センサスの調査員がケニア全土の世帯を訪問するとのことで、正確な世帯人数を把握するために外に出歩かないようにというお触れが回っていた。そして、センサス・ナイト翌日の8月25日は、政府の決定により8月24日に突如として祝日となってしまった。日本で国勢調査と言うと、無味乾燥、単なる事務的な調査という印象を持つが、ケニアでは10年に1度の、国をあげた一大イベントとなるようである。

ケニアのセンサスとはいかなるものか興味があったので、センサス・ナイトはどこにも行かず、スタッフ8人が住んでいる我が家でセンサスが来るのをわくわくしながら待っていたが、センサスは日が変わる頃になっても現れない。まさかセンサスは我々を素通りしていったのだろうかと不審に思いながら、センサス・ナイトは終わった。

それから数日が過ぎ、センサスのことが頭から消えかけていた8月27日の午前、若い男女2人組みが訪ねてきた。書類を抱え、やけに改まった様子であったため、てっきり宗教の勧誘か何かと早合点したが、この若い男女2人組みがセンサスの調査員であった。我が家にもついにセンサスがやってきたのである。
 若い男女の調査員は、いかにも調査に不慣れであり、調査はたどたどしく進んでいく。調査票に記入している様子を見ていると、我々外国人に関係なさそうな項目は、こちらに質問することなく、調査員の独自の判断で記入されていく。これで信頼できるデータが集まるのだろうかと心配になる。そもそも、データの信頼性を高めるためにセンサス・ナイトを設定したのではなかったのか、などと疑問を抱きながらも調査は15分ほどで終了し、調査員は帰っていった。

しかし、夕方になり再び我が家を訪ねてきた。情報を書き留めるために使っていた大事なノートをどこかで失くしたらしい。センサスとは言え、無味乾燥では終わらないところがケニアらしさというものだろうかと思いつつ、10年に1度のセンサスは我々を通り過ぎていった。

6月
[第47号]続いているムンギキ問題

調整員 エバンス・カランガウ/インターン 荒井かず葉/同 小野 珠代/調整員 橋場 美奈 訳

2008年4月の組閣後、「ムンギキ」と呼ばれる集団が、連合政権は自分たちの要求にこたえない、と暴力行為を激化させました(会報43号参照)。1年を経ても、ムンギキの問題は続き、より深刻になっています。

市民や警官を殺害する「マフィアのような存在」(2007年・会報40号)であるムンギキですが、一方で、土地分配における不平等や失業、貧困に抵抗する主張も行ない、貧困に苦しむ若者を中心に支持が広がっています。現在、メンバーの数は全国で500万人を超えるといわれています。

それに対して、警察には、ムンギキの根絶を任務とする、特別に訓練された警官隊が置かれ、隊員にはムンギキ・メンバーの殺害が認められていたようです。2008年から2009年にかけ、中部州やナイロビのスラムで相当数の青年が姿を消したのは、この警官隊が殺害し、なかには個人的な理由や金品目当てもあった、といわれています。
今年2月25日、国連特別報告者フィリップ・アルストン氏が報道声明を発表。ムンギキ容疑者などが超法規的に殺害されているのは深刻な人権侵害であること、ムンギキ問題の解決にもつながらない、として強く批判しました。

同日付の『DAILY NATION』紙には、警官によるムンギキ・メンバーとその家族の惨殺を証言した関係者の男性が、暗殺された記事が掲載されています。翌、26日付の同紙の一面には、「警察暗殺部隊の恥」という見出しとやぶの中に捨てられた服の写真が大きく載り、ムンギキ容疑者の殺害が報道されました。

6月3日、ジュネーブの国連人権委員会に出席したケニア政府代表団は、政府の方針ではないとしながらも、容疑者を違法に殺害した警官の存在を認めました。

6月8日以降の『Nation』紙では、アフリカ諸国がアルストン氏による批判を不十分な調査による「内政干渉」として、彼の退任を求めている、との記事も大きく扱われています。また、ケニアの代表団は、氏の声明は、連立政権を分裂させる意図があり、状況をより不安定にさせる、との批判を発表しました。

現在も、ムンギキと警察の衝突で、マタトゥの運行はひんぱんに麻痺。ムンギキによる住民の殺害も続きます。ビジネスも影響を受け、ムンギキ問題はケニア人の生活に影響を与えています。政治の指導者が、法に則って治安を回復し、国民の生活が安全かつ安定することを切に願っています。
3月
[第46号]2008年のケニア概況

 4月に連立政権が誕生、10月には選挙後の暴力に関して報告

ケニアの2008年は、前年末の総選挙を契機に起こった大規模な騒動から始まりました。対立していたキバキ氏とオディンガ氏は、アナン元国連事務総長らアフリカ人リーダーの仲介によって、4月、大統領と首相に就任。半数の国会議員が閣僚となる連立政権が誕生しました。それまでに千数百人が亡くなり、数十万人が生活する場所を追われたといわれています。貧困層を中心とした住民による集団化した暴力や騒動といった事態は収束し、選挙前の「平穏な」状態に戻りました。

そして、以前と変わらず、政府高官が関与する不正への疑惑が、次々に表にでてきています。一例は政府高官が関わるメイズの不正取引です。今回の騒動で主食のメイズの作付けが穀倉地帯ですすまなかったという状況に干ばつが重なり、収量が大幅に減少して、メイズの価格は高騰しました。貧困層の生活が逼迫している中で、巨利を得たことが取りざたされています。また、騒動中、それ以後も、治安関係者によって法的な正当性が強く疑われる住民の殺害が相当数あるといわれています。町の中では、交通取締りをしている警官が、シートベルト不装着といった理由をみつけて、賄賂を要求する行為など、むしろ露骨になっているという印象です。

10月15日に、選挙後暴力究明委員会による報告が大統領に提出され、すぐに公開されました。この中で、現職の官僚、国会議員や実業家などが、騒動を扇動したり、資金提供を行なったりしていたことが、当事者の氏名を伏せた形で報告されています。そして、このような犯罪について「不罰則の文化」が形成されてきたことを指摘し、法的な処罰の対象となるよう提案しています。第一義的には、ケニア国内で特別法廷を設置して、当事者を裁判にかけること。一定期間内に達成できなければ、当事者名や証拠書類をオランダの国際刑事裁判所に提供して、裁判を実施するよう求めています。

これに対して、キバキ大統領とオディンガ首相は、国内特別法廷の設置に同意したのですが、設置のための憲法改正案は国会で否決されました。国会議員の「不罰則の文化」維持の動きとも思われますが、適切に裁けるのか、というケニアの司法に対する強い不信感の表明でもあるようです。

一進一退という状況ですが、この騒動の究明だけでなく、特権に守られた政府高官、公務員などによる不正や暴力行使を、抑制する努力が行なわれていることは確かです。その結果に期待しています。