2002年
[第21号]1か月続いた教員ストライキ

代表理事   永岡 宏昌


今年9月23日に始まった全国教員組合によるストライキは、10月22日に職場復帰するまで約1か月間続いた。原因は、1997年10月の3週間のストライキにさかのぼる。これによって、公務員である教員の給与を5段階に分けて150%から200%昇給することで、政府と合意した。しかし、実施されたのは第1回目の昇給のみだったため、約束の完全履行を求めたということである。ケニアの小学校・高校(*)は、生徒比率で90%以上が公立校である。政府が雇用し、これらの公立校へ派遣している教員24万7千人がストライキを行なったので、全国の小学校・高校がほとんど閉鎖される事態になった。

ケニアの国家予算をみると、2000年度の債務返済を除く経常歳出のうち26.9%が教育費であり、うち90%近くが教員の給与とされている。97年当時、教員の昇給が約束どおり履行されれば、国家歳入を超える支出になると予想されていた。要求した教員組合も、飲んだ政府も、これを見守る国民も、現実離れした合意であることは認識済みのはずであった。97年合意がなされたのは、大統領および国会議員総選挙の直前であったことが関係しているとみられる。そして、今回も、12月に予定されている選挙を前にストが実施された。

来年7月から当初約束の昇給率を10年間にわたって段階的に行なうことと、今回のスト期間中の給与を全額支払うことで収束した。教員のみに対する予算確保だけでも実施は難しいだろう。他の公務員とのバランスを考慮すると更に難しいと思われる。そして、この約束を実施するのは、選挙後の新しい政府となるのだ。

実現可能とは思えない要求をする教員組合、約束をする政府、それに固執する教員組合―。いったん犯した間違いが解決できない悪循環を生んでいるとしか思えない。教員の多くが、ストライキ期間中、国家試験前の高学年の生徒たちを対象に私塾を開設して収入を得ていたという。その間の給与も確保して二重の収入となるわけだ。そういう話を聞くと矛盾をさらに感じ、納得できない。被害者は、教育の機会を奪われる子どもたちである。今回の約束が、遠からぬ日の長期ストライキの原因にならないことを祈りたい。

* ケニアの教育制度
6歳で小学校に入学し初等教育は8年。次に4年制の高校に進みます。大学も4年の8−4−4制。


(2002年12月発行 会報第21号「ナイロビ便り」より)


[第20号]ワールドカップの熱狂の陰で

事務局長  國枝 信宏

今回のケニア出張は、幸か不幸かサッカーのワールドカップ(W杯)の開催期間をはさむ1か月半。サッカー人気の高いケニアでは、W杯期間中、あたかも自国チームが出場しているかのような盛り上がりを見せていた。街では商店や食堂のテレビに群がり、農村では新聞を手に、あるいは乗合バスの中でW杯談義に花を咲かせるなど、ふだんとは違った人々の様子が見られた。セネガルの健闘ぶりについては特に喜びは大きく、「アフリカの希望」として称えていた。私のほうは、「何故こんな大事な時期に日本を離れられるの?」と現地の知人たちに半ば嘲笑された。

W杯の熱狂の一方で、年内に予定されている総選挙をめぐる動きも活発になりつつある。現職のモイ大統領は、「総選挙は予定通り今年12月に行なわれる。そこで後進に道を譲る」という決意を表明した。しかし、与党、KANUの国会議員は、憲法改正の作業が完了する来年5月まで総選挙を延期する意向を示している。その動きについては、「議会の決定には従うより他ない」としていて、総選挙の開催時期は依然として不明である。モイ氏は与党大統領候補としてケニヤッタ氏(与党副党首・地方自治大臣。初代大統領の長男)を擁立する意向を示し始めているが、それに対しても、与党内から反対の声が上がっている。また、他の幹部も揃って大統領選出馬への意欲を示すなど、今後の混乱の可能性は否定できない。

ある野党の党首は新聞記事で、「アフリカからW杯に出場した国は、どこも民主化が進んでいる。ケニアも民主化すればW杯に出場できるということだ」とジョークを飛ばしていたという。

いつの日か、ケニアがW杯に出場できれば私もうれしい。しかし、事実上続いていた一党制が82年に明文化され、複数政党制が再び導入されたのが10年前。この国で民主主義という外来の概念がどう定着していくのか。ケニアでCanDoの設立準備をしていた5年前の前回の総選挙のことを思い起こす。そのときに経験した社会混乱が記憶に残っている私には、他国の「民主化」の考察はまた別の問題として、単なるジョークとして片付けられない一言であった。


(2002年9月発行 会報第22号「ナイロビ便り」より)



[第19号]学費に及ぼす、今後の選挙の影響

調整員  藤目 春子

ケニアでは、公立小学校教員は原則として政府派遣だ。学ぶのに必要な費用のうち、給料は政府負担だが、それ以外は全て保護者負担。

例えば、政府派遣の教員数が不充分な場合に学校の裁量で雇われる教員の給料。教室建設にかかる費用(開発基金)。教科書購入、毎学期実施される模擬試験、給食、学校警備員、球技大会などの行事参加に必要な負担金…。毎年1月には、各小学校で校長と保護者が、これらの総額と、保護者ごとの分担額(学費)を決める。

この学費が、今年は開発基金を除いて無料になる。「学校は保護者からお金を徴収するな」という通達が政府から出された。

この通達は、年末に予定されている大統領選挙および国会議員・地方議員の総選挙に関係しているのか。学費を支払えないために毎年多くの生徒が学校から送り返され、授業を受けられないケニア。通達を喜んだ保護者が与党候補者に投票、という読みなのだろうか。

しかし、学費のなかには、その徴収ができないと、学校運営が行き詰るか、活動の質の低下につながる費目も多く含まれる。

一方、学校運営に必要なお金を政府が出すという話は聞かない。ナイロビの学校の中には、暫定的な措置として一定額を学校へ支払うという申し出が保護者から出されたところも多いと聞く。

通達の影響は、事業地ヌー、ムイ郡でも見られる。例えば、今年は入学者が増えて困っていると言う校長もいる。子どもを学校に通わせていない親も、学費が無料なら通わせたいと思っているようだ。また、学校行事の予定が郡教育官から発表されていない。当会の活動計画を立てる際には、行事と重ならないように配慮しているのだが、不透明で手も足も出ない状態だ。

選挙に関連して、ケニアの教育の現状や将来との整合性が乏しい短絡的な教育政策が持ち込まれ、現場で混乱しているようにみえる。しかし、混乱は新たな機会でもある。保護者と学校との新たな関係につながることや、無料で質の高い小学校教育の重要性が認知される機会になるかもしれない。

(2002年5月発行 会報第19号「ナイロビ便り」より)



[第18号]2001年のケニアの概況
       2002年の選挙に向けての政治の動きと、経済面での「ドンデ法」の行方


2002年、大統領選挙および国会議員・地方議員の総選挙が予定されている。憲法の規定では、1978年に就任したモイ大統領の再選はなく、新たな大統領が選出されることになっている。このため、2001年は政治がさまざまな動きをみせはじめた。
1月、与党のKANUと野党第一党のNDPが、NDPの本拠地ビクトリア湖岸のキスムで会議を持ち、「協力からパートナーシップへ」という方針を打ち出した。6月には、独立後初めての連合政権を形成し、NDPから2名の国会議員が大臣に、2名が副大臣にそれぞれモイ大統領により任命された。その後、両党の合併に関する話し合いが続いているが、主要ポストをNDP議員に割当てることに対するKANUの有力議員からの反発も強い。

また、10月には、1997年の総選挙で落選した、初代大統領ジョモ・ケニヤッタの長男ウフル・ケニヤッタが、モイ大統領の任命により国会議員*となる。さらに11月には地方自治大臣となり、次期大統領との観測までではじめた。また、憲法改正も検討されており、2002年の大統領選挙の行方は不透明である。経済面の動きとしては、「ドンデ法**」の行方が注目をあつめている。ドンデ法は、中央銀行法を改正して、銀行の利子率に上限を設定するなどの権限を付与し、現行の利子率を下げることを目的とした法律である。

現在、銀行の利子率は高く、個人や中小企業が銀行からの貸付を受けられないばかりか、借入金の返済に行き詰まって倒産した大企業もでてきた。法案は、2000年にいったんは議決された。しかし、大手投資家からの反対およびロビー活動、さらにドンデ法は憲法違反であるとして、ケニア銀行協会が訴訟に踏み切るなど強硬な反対もあり、同法の施行が遅れている。

この法律に対する国民の注目度は高く、法律が施行されてから借入れたいという期待により、国内では貸付の申し込みが滞っている。一方、施行を見越してか、利子率を下げたり個人向けのローンを始めたりした銀行も出てきている。

*国会は一院制で、小選挙区より選出される国会議員と、大統領により任命される国会議員とにより構成される。

(2002年3月発行 会報第18号より)