1998年
[第5号] 奨学金事業の取り組みについて
代表理事  永岡 宏昌

CanDoの設立総会の開催から1年間がたちました。最初の活動として始めたケニア・ムインギ県における小学校支援活動は順調に進んでいます。また環境保全活動の調査がすみ、地域保健を始める準備が始まり、総合的な開発協力への展開の足場も固まってきています。村での活動を開始するきっかけとなったのは、首都ナイロビのスラムにおける厳しい生活とそれでも続く農村からの人々の流入に対して何ができるか、という問いかけでした。設立当初から将来スラムでも教育などの活動を行ない、両面から「より豊かな社会」づくりに取り組んでいこうとめざしていました。99年度より、スラムでの活動の可能性調査を始めます。

ナイロビの人口200万人の半数が住むといわれるスラムのうち、南東の工業地帯にあるルーベン地区に日本のNGOが運営していた(現在は、アイルランドの修道会に移っています)小学校があります。そこで初の卒業生が出たときに高校進学への道を開く奨学金制度が発足しました。しかし2年めの昨年12月に突然の打ち切りが奨学生たちに通達されました。かかわりのあったCanDoの理事が詳細を知ったのは、新学年が始まった1月のことです。そして勉強を継続させたいと思う有志が「ルーベン奨学金基金」として募金活動を始めました。総会後だったため、日本ではCanDoの事業として募金の呼びかけはしませんでした。けれども、ケニアでの奨学金の実質的な運営はナイロビ事務所で行なってきました。来年2月ごろに予定しているCanDoの定期総会において、国内においても取り組む方向でいくことをあらためてはかり、今後の本格的活動につなげていこうとしているわけです。

高校と小学校の違いはあっても、より豊かな地域社会を作っていく担い手となる子どもたちがのびのび学ぶことができるようにしたい、という考えはムインギ県での活動と同じです。奨学金の場合も一方的な支援ではなく地域社会で支えていく形が望ましいと考えています。保護者は親戚の援助を得たりして、学費のうちできる範囲の額を負担しています。また保護者が作った組織で、奨学金に関する問題を話し合う動きも生まれてきました。

8月、休暇中の奨学生が事務所で教科書配付の準備を手伝ってくれました。スラムと村を結ぶ小さな糸口になれたらば、とも期待しています。
(1998年12月発行 会報第5号「活動の方向性」より)



[第4号]環境保全活動の出発点

代表理事  永岡 宏昌

ムインギ県ヌー郡でどのように活動展開をすると地域の総合的な開発により貢献できるかはCanDoの大きな関心です。7月半ばから1か月半にわたって出張し、ケニアに駐在するスタッフと共に、教育支援の充実、環境保全活動、そして地域保健活動の実施可能性について検討しました。今回は環境保全活動について紹介したいと思います。

人々が生活の基盤を農業ばかりでなく牧畜にも大きく依存しているヌー郡は、降雨量が少なく年毎のばらつきが大きい農耕の限界地といえる地域です。そして、度重なる干ばつの影響を受け、「干ばつ復興地域」に指定されています。多くの場所で、表土流出など深刻な環境の劣化が進み、原因として焼畑による移動農耕、家畜の過放牧、地域の人口の増加などがいわれています。

この分野に関わる行政担当者は、水源保護の観点から山間部での焼畑の制限、燃料用の薪の消費を減らすための改良カマドの普及、荒廃地の植生を回復するための閉鎖地の指定と土壌保全のために水平に溝を掘る作業などを住民に働きかけています。

しかし、大多数の住民たちは積極的に反応していないようです。住民や村の知識人といえる学校の先生に聞くと、「ヌー郡は樹木が豊富で、環境問題はない」という反応が返ってきます。改良カマドは、人口約4万人のヌー郡内で、この3年間に48基が設置されただけです。現在のところ、ほとんどの農家が、薪を家もしくは耕作地の周辺で手に入れることができます。遠くまで出かけたり、現金で購入する必要がないことから、改良カマドの普及に熱心でないのでしょう。生活感覚からは環境問題をとらえられないと思われます。

また、ほかの理由として、10年以上前の復興事業の経験があるようです。ある国際機関の働きかけにこたえて、住民が労働作業をする形で大規模な荒廃地の復興事業を行なったにもかかわらず、土壌流失を防ぐことができず、荒れ地として放置されているのです。この失敗が住民の環境保全に関する考え方に影響を与えているのかもしれません。

このように現在進行している環境問題について、行政担当者の捉え方と、その地域に暮らす人たちによる問題の捉え方に、大きな落差があります。これを埋めることがCanDoの活動の出発点になるのかもしれません。


(1998年10月発行 会報第4号「活動の理由」より


[第3号]小学校支援から地域の総合開発へ

代表理事  永岡 宏昌

ケニア・ムインギ県ヌー郡での小学校支援では、設立準備をしていた昨年末から、地域の行政官・村人・学校の先生・子どもたちなど多くの人たちと話し合いを積み重ねてきました。そしてこの8月には第1回目の教科書配布が行なえるところまでたどりつきました。この事業の成功をめざす一方で、次の展開をどのようにするのか多くの関係者の意見を機会があるごとに聞いたり、状況を観察したりしながら、常に考えています。

ヌー郡にはナイロビのスラムに流出していかざるを得ないような地域の貧困化があります。それに対して、より「豊かな」地域社会を築いていくために人々が取組んでいる営みや将来の努力を、私たちが出来る適切な形・規模で、総合的に応援していきたいと考えています。小学校支援は、その地域総合開発に取組むための入り口であり、また欠く事の出来ない重要な要素であると考えています。

地域保健そして環境保全へ

次の展開として視野に入れている活動は、地域の人々の健康に関わる地域保健、とりわけ小さな子どもや母親の健康(母子保健)です。また地域に根ざした植林や薪炭の節約による環境保全、地域の人たちが主体的に行なっている小さな開発活動(草の根の活動)への支援などです。展開にあたり関連付けを大切にしたい、とも考えています。例えば、小学校とそれに併設されている幼稚園の子どもたちの健康問題に取組み、その延長として、就学前の乳幼児の健康を考えていく。このような形で母子保健へと展開することが考えられます。また、小学校の農業クラブと協力して、樹木の苗畑の開設や校内への植林、環境教育などを始め、環境保全事業への足がかりをつくることも考えられます。小学校の教室を増築する際に、住民がレンガを作ることになります。このレンガを焼結するために消費する薪に見合う植林をすることには重要な意味があるものと思われます。

活動の原則は変わりません

活動は形を変え、広がり、総合的であることをめざしますが、CanDoの活動の原則は共通しています。開発の主役は、地域の人々であり、活動は彼ら自身が決めるものであること。私たちは常に部外者の立場をわきまえながら、一所懸命協力します。また、地域の人々にとって、私たちと行なう活動が、常により「豊かな」社会を作る上での自信や経験・技術の蓄積につながるよう留意します。
(1998年7月発行 会報第3号「活動の理由」より)


[第2号] 私たちにとっての開発

代表理事  永岡 宏昌

「私たちCanDoは、アフリカの開発に協力します」−

この表現は受け取る人が持っている「開発」のイメージによって、さまざまに理解されるのではないでしょうか。「開発」という言葉はいろいろな文脈の中で用いられます。長い視点でアフリカの開発に取り組もうとしているNGOとして、どのような考え方で活動するか、を明確にする必要があります。今回の原稿をきっかけとして、みなさんの考えを聞かせていただきたい、と思っています。

地域の人々の、そして次の世代、また次の世代の「よりよい生活」を

人々が「より豊かな」「よりよい」生活を築き上げていくためのさまざまな活動が「開発」といえるのではないでしょうか。担っているのはその地域に暮らす人々です。その人たちが地域で抱える問題点をとらえ、努力や工夫をしていくことによって、生活が少しでもよくなること。そして、この「よくなったこと」が次の世代、そしてまだ生まれていない世代の人々にとっても「よいこと」である−それが開発であると考えるのです。

「開発」にはたす役割

そのような「開発」のなかでの私たちの役割は、地域の人々の身近な「友人」となって一緒に考え、状況を確認しながら、必要な物資・技術・知識などを適切な時期に投入することだと思います。当初から特定の技術やプロジェクトを持ち込むのではありません。地域に住み込み暮らしながら、「よりよい」状況を作り出すのに必要なことを、ともに探していくべきだと考えます。その規模は、私たちがかかわることができる範囲になります。一方で、住み込むスタッフが地域の一員となることばかりに意識を集中すると、その社会に埋没してしまって、改善すべきところが見えなくなってしまうという問題も考えられます。そのことから、早い時点で、地域の人々と協働で「開発」の事業に取組むことが大切です。

調査と話し合いの結果、ムインギ県ヌー郡では、小学校の基礎教科書の充実や教室の増改築については、必要性が確実にあると判断しました。これらの事業を行なうことで、地域の人々との信頼関係を築き、新たな「開発」へと展開していけることを期待しています。
(1998年4月発行 会報第2号「活動の理由」より)

[第1号]最初に小学校支援にかかわろうとしている理由

代表理事  永岡 宏昌

CanDo-アフリカ地域開発市民の会は、本年1月1日、正式に設立しました。現在、最初の事業としてケニア国東部州ムインギ県ヌー区での小学校支援開始に向けて準備を進めています。今回は、なぜCanDoが小学校支援に焦点をあてているかについて述べたいと思います。

スラムに流れてくるムインギ県の人にとって「豊かな生活」を考えたとき

東部州ムインギ県の人々は、「近年頻繁におこる干ばつなど乾燥化による生活環境の疲弊」「ケニアの平均的状況より悪い栄養失調児の比率」「ナイロビの都市スラムへの人口流出」など、さまざまな困難に直面しています。援助関係者によると、ヌー区は、同県のなかでも貧困な地域である、とのことです。CanDoは、この貧困化の状況のなかから地域の人々が、「より豊かな」生活を作り上げていく応援をしたい、と考えています。

しかし、その「豊かさ」とは何か、どうしたらその「豊かさ」を住民が獲得していけるのか、CanDoは、どのような応援ができるのか、応援をすべきか、または、してはならないか、など、多くの繊細な事柄を理解し、地域の人々と共有する必要があります。そのためには、CanDoのスタッフが、地域に住み込み、人々と話し合い、具体的な共同作業を行ない、時間をかけて信頼関係を築き上げる必要があります。

設立前から行なってきた調査の段階からみえてきた教育についての問題

地域の大人が子どもの教育に意欲的であるにもかかわらず、ムインギ県の小学校8年生の成績はケニアのなかで下位に属し、さらにヌー区は同県のなかでも最も成績の低い地域となっています。その背景には貧困があり、教員の教える意欲と子どもたちの学習意欲低下の悪循環などが見え隠れしています。このような状況から教育支援はニーズが高く、住民との協力関係が作りやすいと判断しました。そして最初の事業として小学校支援を決定しました。
地域の小学校への基礎教科書支援や教室の増改築に、地域の人々の直接参加や協力を求めて、共同作業を行ないながら、次の事業展開にもつながる信頼関係の醸成をめざします。

この支援は、地域社会がさまざまな形で地域の「より豊かな」生活を築く営みを将来担う数多くの子どもたちを育てていく基礎作りへの応援でもありたい、と思います。

(1998年2月発行 会報第1号より)