茂野 綾美

「振り返り作文」


16歳の秋、タイへ行った。所謂「途上国」と呼ばれる国へ足を運んだのは、これが初めての経験だった。深夜、バンコクの路上をタクシーで移動していたとき、4、5歳の幼い少年が路上で花を売っているのを見た。私と彼の間には窓ガラスが一枚あるだけなのに、そのガラス一枚の距離がとてつもなく遠く感じられた。なぜ世界はこんなにも「差」があるのか。漠然とした「貧困」への関心は、このときに芽生えた。
大学は、国際関係論や開発論を学ぼうと思って選択し、入学した。理論を学ぶ中で生じた、一つの疑問。私が今ここで学んでいることは、どれだけ実地的なのか。単なる机上の空論に過ぎないのではないか。私が、CanDoのインターンに応募した動機である。
「現場を見たい」その一心で、2007年4月にケニアへ渡った。ドバイ経由、ナイロビ行き。名古屋からドバイまではわくわくしていたのだが、ドバイからナイロビまでは周りが黒人ばかりという状況に、若干怖さを感じたのを覚えている。何せ、初めてのケニア。初めてのアフリカ。目に映るものすべてが新鮮で刺激的だった。アフリカに着いて初めて感じたのは、「私は外国人なのだ」ということ。どうしたって、目立つ。到着した日から帰国する日まで、どこへ行くにも緊張感が付きまとった。
到着後、帰国まで携わった業務はアドミンだった。スタッフの給料を計算したり、事業で使ったお金を精算したり、帳簿を作成したり、といった業務内容だった。非営利の団体が、どのように動いているのか。団体のマネジメントを知るという意味においては、とても良い「現場経験」だった。ケニアに到着して数日後に、事務所のパソコンの修理を街の電気屋さんに依頼しに行ったとき、店員に交渉ができなかったことはよく覚えている。「押す」ということを知らなかったのだ。そんな私も半年後には、銀行の担当者と電話で議論したり、塗装屋の手配から値段交渉、実際の塗装まですべてをこなせるようになっていたりしたのだから、驚きだ。
アドミンともう一つ、ケニアで携わらせていただいた業務がある。保健事業だ。ムインギ県のヌー郡、ムイ郡における、エイズから子どもを守る社会を形成するためのエイズ教育事業の調整補助員として、ワークショップの企画や運営に携わった。率直に感想を述べると、非常におもしろかった。日本で学んでいた理論の、何がつまらなかったかと言えば、人が見えないことだった。偉い学者の頭の中を見ているだけのような気がして、現実味に欠けていたのだ、と気付いたのはCanDoの事業地に赴いてからだった。現場には、人がいた。逞しくて、生きていくのに貪欲な人々がいた。先進国でさかんに議論され、文献に多用される参加型開発というのは、このことを言うのかな、と思った。「そこに住民の意思があるならば、どこへでも行く」というCanDoの姿勢は、簡単に真似できるものではないが、世界で理想として描かれる開発の在り方を、絵に描いた餅で終わらせないスタッフのひたむきさがじんじんと伝わってくるものだった。
ケニア滞在中の気付きを、いくつか書き残しておこうと思う。一つ目は、現場との距離間。外国を訪れると、どうしても疑似体験をしたくなる。できるだけ現地に近づきたいと思う。海外旅行の目的の一つは、普段の日常から切り離された非日常を疑似体験することにあるのかもしれない。が、私はあくまでも外部者に過ぎない。ケニアに何年いてもケニア人にはなれないし、それは非常に不毛なことなのだ、と気付かされた。外部者として現場に入ることにこそ、意味があるのだ、と。そして、旅行に来ているのではなく、仕事として、外部者として現場に足を踏み入れることに伴う責任をひしひしと感じた。
二つ目は、援助や開発のあり方について。現場へ初めて入った日、現場の方から「あなたは私たちに何をくれるの?」と言われたことが忘れられない。その後も、ワークショップのたびに「何か食べ物が出なければ参加しない」というような声は幾度と無く聞かれた。与えられることに慣れすぎた人々の姿を目の当たりにした。これまでの先進国政府や国際機関が行ってきた援助の結果はこれか、と思った。人々から意思や能動的な姿勢を奪ってしまった責任を感じるのとともに、今後の援助・開発のあり方について考えさせられた。
ケニア滞在中、ケニアの人から教えられるものは勿論沢山あった。けれどそれ以上に、日本人スタッフのみなさんに教えていただいたものが山ほどあった。一つ一つの現場や、一人ひとりの住民と真摯に向き合い、妥協せずに事業を進めていかれる姿を、私は非常に尊敬している。こんな知識も技術もない大学生を、一人の仲間として扱ってくださったことに、本当に感謝している。振り返れば、多くのことを任せていただき、やらせていただき、学ばせていただいた。親に内緒でCanDoの選考を受け、合格をいただき、家族に事後報告をしたときには、物凄く怒られた。父親は泣いて反対した。それでも行こう、と決めた私の決断は、間違っていなかったと今は確信している。メディアで伝えられるアフリカは、「貧困」の二文字に凝縮されすぎていて、本質的なものはなかなか見えない。本音と建前が飛び交い、駆け引きの上に成り立つ人間関係に疲れることも多々あった。それでも「また行きたい」と思わせるアフリカが、ケニアが、憎めない。日本に帰国してもケニアが恋しくてたまらなかった。あんなにひたむきに、真っ直ぐな人たちと出会ったことがなかったのかもしれない。屈託のない笑顔で笑うケニアの人々が、今でも恋しい。
世界で今、何が起こっているのか。ケニアから帰国して、私のアンテナは随分高くなった。物理的にも意識的にも遠い世界へ思いを馳せることは、難しい。永岡代表の言われる「想像力の貧困」とはこのことだろうか。テレビやら雑誌やらインターネットやら、進化しすぎたメディアによって伝えられる一方的なイメージが、世の中には先行している感は否めない。目に映る物理的なものしか信じられなくなり、目には見えない人の心や感情や思いといった類のものは、信じられなくなっているような気がするのだ。私も、「自分の目で見なけりゃ信じられない」と思ってケニアへ行った。けれど、現場には目には見えない大切なものも沢山存在していた。今、彼や彼女がどのような状況で、何を思っているのか。思い込みと想像は紙一重なのかもしれないが、何をするにも想像力は必要なのだな、と強く感じた。

また、アフリカへ行こうと思う。メディアの陳腐な表象を越えた現地の魅力を知ってしまった私は、まさに虜になった。未知の世界だったアフリカ。「どんなところだった?」とよくきかれるが、うまく答えられない。半年という時間は、長いようでとても短かった。まだまだ未知の世界なのだ。
 
永岡代表をはじめ、スタッフの皆さまには日本でもケニアでも非常にお世話になりました。改めて感謝申し上げます。これからもCanDoの活動を支える一人でありたいと思います。